神戸大学1年目(1999年)

神戸大学2年目(2000年)

巻末コーナー

6、コンプレックスの巣窟、大学のサ−クル,,7−8月。

そんな僕達だったが、夏休みに入ると「息抜き」のため、月に一回、大学のサ−クルに行くことになった。これが僕を、さらに狂わせた。 サ−クルとは、大学で青春を謳歌する素晴らしいものと、世間では言われている。



ところがこれはデタラメだった。全てのサ−クルがそうだとは言えないが、少なくとも僕の行ったサ−クルは、楽しみたいけど楽しめなかった。偏差値の低い者には、その「楽しむ」資格がなかった。

参加したのは、あるディベートサークルだった。このサ−クルは神戸大学だけでなく、様々な大学との共同で運営する、全部で20人ほどの小さいサ−クルだった。「いろんな大学同志、仲良くやろう」、これが彼らのテ−マだった。

ところがこの「共同運営」というのが、一番まずかったのだ。様々に偏差値の違う大学同志が、仲良くやっていけるはずないのだ。20に近い大人達が、「平和に平等に」なんて、出来るはずないのだ。

なまじっか「ディベ−ト(討論)」で活動するので、サ−クルの権力は「いかに知性をアピ−ルし、ディベ−トで活躍するか」で決まった。となると男性は誰でも「権力」にあこがれるので、ディベ−トでいいカッコを目指す。

ところがここで大問題だ。そう「大学名」だ。神戸大学のヤツが発言すれば、全員「すごい」となるが、偏差値40代の大学の連中が発言すると、「調子にのるな」というキツい視線がビリビリと支配する。つまり「偏差値が低い人間は、説得力がないよ」という訳だ。案の定偏差値が低いのに、イキがるヤツは、どんどんサ−クルを脱退せざる得なくなる。

表面上は「人間平等だ。偏差値じゃなく人間性でしょう」と言っているが、実情はとんでもなかった。「あの人は偏差値が低くても、人間が素晴らしい」というヤツもいたが、大体ディベ−トでは静かに目立っていない人間だった。卑屈に生きていれば、偏差値が低くても評判を得ていた。だが卑屈に生きられる人間なんていない。

舞台裏では、偏差値の低いやつは偏差値の高いやつを否定し、高いやつは低いやつをバカにしていた。

気になる女の子の評価でも、「大学名」は確実にブランドとなっていた。もちろんルックスの善し悪しもあるが、正直になれば、「大学名」ブランドが大きな決定力になっていた事は事実だ。

「男はカッコよさか内面」、というのが僕の高校時代だった。ところがここでは「大学名」というブランドが加わった。

基本的に大学生はほとんど暇だ。何かに打ち込んでいる奴なんていない。みんな動きを一斉に止めているので、やはり唯一差が出るのは「大学名」くらいだったのだ。「大学名」、「権力争い」、「人の悪口」、「男女問題」、それらが渦巻くサ−クルは、ある種「社会の縮図」だった。

僕はといえば、「斎藤はノンキでいいよな」「いつも笑っていられて、うらやましいよ」「バカだな、オマエは」、いつもこうだった。ある時は、「神戸大学でも、夜間でしょ?」と、女の子にまでバカにされた。しかし全部事実だ。反論しても「負け犬の遠吠え」だ。黙るしかない。僕は完全にナメられていた。ここでも評価の基準は、「神戸大学夜間」だった。

サ−クルで卑屈に生きる自分の姿を見るのが、本当にヤル気を起こさせた。「こんな姿で一生終わりたくない」そう奮い立たせられた。 口でどうこう言っても始まらない、体で分からせてやるぞ!僕はこう決心した。これが全てのきっかけだった。

僕はサ−クル全員の評価をくつがえすため、英検準1級、模擬試験勝負の挑戦状をたたきつけた。相手はもちろん、サ−クル内で権力を握る、「神戸大学、昼間生」だ。

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