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巻末コーナー

12、涙に浸る屈辱の12月10日!

外語大の試験が終わった11月末、僕達は最悪のスタ−トを迎える事になる。同志であるシンジさんが立て続けに落ちたのだ。

大阪大学京都大学不合格。成績的に「必ず受かる」という、神戸大学法学部まで連続不合格。僕はその結果が信じられなかった。彼は絶対合格のラインにいた人間だ。この戦いは、やはり呪われているのだろうか、僕達はそう考えるしかなかった。

しかしここまでだった。この「不運」にも彼はついに勝ってみせる。そう、ここから勝利の日が始まるのだ。その2、3日後の事だった。「東北大学に受かりました!」電話で叫ぶシンジさん。これが、彼のドラマの終わりだった。

やはり勉強し続ける事なのだろう。力があれば、必ず受かるのだ。 僕は喜んだ。本当に嬉しかった。今年は合格にふさわしい友が、合格した。妬みなどあるはずもない。だからこそ次は僕の番なのだ。その時から、僕の合格発表まで1週間。シンジ、カズヤが合格した今、ついに僕は最後の一人となった。

合格発表前日、12月10日のことだった。僕はこの日を忘れない。いつもの様に大学の授業に形だけ出て、一番後ろに座り、受験勉強をする。 僕を避けるように、前のほうでIQやイガ、ヒルマが座っていた。そして見渡せば、大教室が100人近くの夜間生で埋まっている。

僕は何でこんなところにいるんだろう。そんな夜間生の姿を見ながら、心の中でつぶやいた。

偏差値80を取った。夜間全員の誰よりも、偏差値は高い。僕は一番努力、苦労している人間だ。しかし最後の最後まで残ったのは、紛れもない僕自身だった。僕は世間から見れば、この夜間生なのだ。どんなに頑張ろうが関係ない。「クサイ」と評されても文句は言えない。

僕は帰り道の途中で、立ち止まった。いつもの様に、美しい神戸の夜景が広がっている。2年間眺め続けた、変わりない景色だ。そう、いつまでも変わらないのだ。



僕は一人で泣いていた。限界だったのだ。実力を上げれば上げるだけ、強がりは増した。しかしその裏で、空しさも募っていったのだ。何でここまでやらなきゃならないのか。 僕は初めて弱音を吐いた。そうしたら、その切なさ耐えられなくなっていた。涙を流したのは、あのカズヤの合格以来のことだった。

家に帰ると、英検準1級の面接試験合否通知が届いていた。面接は普通、9割は合格する。落ちるはずのないその結果は、以下の通りだった。

合格点23点中、僕は22点。

あと1点だった。不合格。

僕を支えるものは、もう何も無かった.....。

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